[PR]今日のニュースは
「Infoseek モバイル」

「残虐性」から見る死刑廃止論

社民党の議員が、国会の質疑で法相の森山眞弓氏にひとつのパネルを差し出して見せた。
パネルには、生々しい紐の跡が残った頸部が大きく映し出されている。
ある死刑囚の死刑執行直後を写したものある。

議員は、死刑制度は世界のすう勢からもかけ離れた、野蛮な行為であり、国家による殺人を認めてはならないと主張した。
森山法相は、それを見て遺憾の意というものを示したが、結局は死刑制度の重要さを説く形で答弁を終わった。
当然である。ここで仮に法相が、「残酷な写真を見て心変わりしました。死刑制度は廃止すべきです」と言い出したら、そっちのほうがおおごとだし大問題だ。
死刑廃止の議論は、過去に幾度となく繰り返されてきたが、それでも廃止に至らないのは、それなりの理由があるからである。

死刑は法相がサインして、初めて執行される。つまり最後のGOサインを出すのは法相であり、これは執行のボタンを押したにも等しい行為だ。
その彼女が、執行について悩まなかったはずがない。
実際の刑場では、執行官が死刑を執行するわけだが、彼らだって人を殺す役目を背負うのは御免こうむりたい。苦肉の策として、絞首台の踏み板を外す装置は、複数の執行官の手によって同時にボタンが押され、誰が実際に死のボタンを押したのかはわからない仕組みになっている。

社民党の議員は残酷な写真を見せれば、死刑廃止をわかりやすく訴えかけることが出来ると思ったのだろう。だが、これこそが、いかにも死刑というものを形骸的にしか捕らえていない証拠だと思うのだ。「かわいそう」以上に語るべき言葉をもたないのが、いかにも社民的というか・・・、女性セブンまがいの主婦感覚をこんな場所にまで持ち込まれても困る。
このパネルは、既に執行されてしまった事柄の現実を捉えたものである。それを執行せざるを得なかった側の人物に見せるという行為は、悪趣味以外の何ものでもない。

死刑には応報刑という概念がある。それに触れ、遺族の気持ちに配慮するポーズを見せておきながら、実際には被害者感情を一切無視しての、「残酷だ」という主張にも疑問が残る。
死刑制度が「残酷」なのは当たり前なのだ。だからこそ応報刑として成り立つのであり、被害者家族にしてみれば、加害者の死は当然の報いなのだ。

必要以上に残酷だと主張するならば、死体写真を見せるというのは、明らかに戦略としても認識としても間違っている。
死刑が、失われた命への対価として不当だというのならば、どこが対価として相違があるだろう。それは、殺された被害者と死刑執行される死刑囚の死までのプロセスの違いだ。

加賀乙彦という人がいる。東京拘置所の医官として、長年にわたり囚人の精神面のケアをして、犯罪者――特に死刑囚の心理に興味を持ち研究をしてきた人だ。
この人の書いた「死刑囚の記録」という本を見ると、未決囚を含む死刑囚が受ける苦痛は、執行そのものよりも、死刑宣告を今か今かと待ち受けること、そして死刑が確定しその執行日が迫ってくる恐怖のほうが、はるかに大きく。死刑が想像以上に残酷な刑罰だということがわかる。
多くの死刑囚が、驚くべき割合で拘禁ノイローゼにかかり、様々な症例をみせている。加賀は、これを死の恐怖から逃れようとする防衛本能だとしている。

法務省は、死刑を執行しておきながら、その実体は国民に知らせようとはしない。
死刑の犯罪抑止効果には疑問の声もあるのだが、もし、それを強固に死刑制度存続の根拠とするならば、死刑の日時も公開せずに、年間の執行者を発表するだけという、いかにも数字で処理するお役所的なやり方とは、相反するではないか。
死刑を国民の目から隠しておいて、議論もさせないのであれば、社会システムとしての死刑はあってもなくても同じということになる。ただ遺族の応報のため、そして国民感情のガス抜きのために存在するのだ。国家が殺人を代行する。その言葉がいえなくて、今のような生ぬるい議論が続いているように思えてならない。

少し前のこと、自民党の大物K井議員がTVに出演して、死刑制度廃止を訴えていた。死刑問題がおいしいとあの鼻がかぎつけたのだろう。このような政治屋が首を突っ込んでは、もう有益な議論は期待できない。
秘書が書いたものを移動中に流し読みしただけなのだろうか、馬鹿の一つ覚えのように、遺族の応報感情とパレスチナ問題を同列に語り、報復の連鎖を危惧するというお粗末な論法に終始した。

誤解してほしくないが私は死刑制度には反対だ。だが応報システムとして殺人を組み込むのなら、それもまた仕方のないことだと思うのだ。
そこをごまかしても仕方がない。死刑議論において応報以上に説得力を持つものはないのだから。遺族が納得できるのなら、死刑はもちろん廃止すべきである。だが、当事者でないものが軽々しく口をはさむべきではない。たとえ自民党の代議士でもだ。

なお、ここでは冤罪や、償いの形という観点からの死刑廃止論は割愛した。

'02.06.15

戻る